つれづれ漂流記
1999年からふとした切っ掛けで流木と向き合うようになって10年が過ぎました。早いなと思うと同時にいろいろあったんだなと思い返しました。この10年何だか慌ただしく過ぎていった気がしますが何かしら自分なりに考えて行動する事が多かった気がします。きっと流木と関わっていなければこのサイトも存在していない訳でそう思うととても有り難い気持ちになります。イベント等で自分が見る方ではなく見られる方に立つというのは、引っ込み思案気味(自分ではそう思う。(^_^))の私では想像も出来ない事でした。今でも自分のブースの前で足を止めていられるとちょっとドキドキ?します。でも其処にあるのは私であって私でない物達。いわば私の心の分身の様なものです。作品には必ずといって良いほどその作り手の気持ちや心が現れるものだと思います。邪な気持ちで作ったものにはいくら着飾っても邪な気持ちがこもってしまいます。これは目で見えるモノではなく心がそう感じるのだと思います。ヘタクソでも真心込めて作った物にはその真心が見えます。自分が作る物はどうかな〜?と思ったりもしますが、あまり考えて作っていないのでまあそういった気持ちなのでしょう。(良いんだか。悪いんだか。汗)私が作家として活動を始めた頃はちょうどあちこちで手作りイベントが多くなってきた時期でもありました。フリーマーケットに紛れていたり、寂れ行く商店街の活性化の賑やかしとして手作り市が行われていました。活動できる場所は多いのですが、大量生産のものや不要品と同じ土俵での勝負はとても不利でした。10円のものが並ぶ中、5000円の作品がそこでその価値観を見て貰えるかという事が問題だと思います。売れればよいと思う方もみえますが、作家としては自分の作品をフリーマーケットの不要品と同レベルと思われてしまっては身も蓋もありません。実際私もイベントを追いかけている時期には目先の売り上げで一喜一憂していました。でもそんな中でも少しでもしっかりと作品を見ていただけたり、温かいお言葉を頂いたりしたのはとても嬉しかった事です。それから私は少しイベントをセーブして自分なりの物づくりを出来ればと思う様になりました。プライベートでも転職したり生活のスタイルが変わったりと以前の様に制作の時間や気持ちが取れなくなって来た事もありますが、何よりも自分が作る事は自分との心の対峙であると思う様になりました。時代の流れでしょうか。10年経ってそういったイベントも少なくなってしまいました。
流木という素材は100人いれば100通り以上の答えがでる素材だと思います。自由な素材で有るが故に自分の心が曇っていたりするとその素材の良さを感じられなくなってしまうと思います。それを気付かせてくれたのが沢山の人達との出会いでした。流木はゴミであるという宿命?を背負っていますが、捉え方によっては自然からの贈り物であり宝物だと思います。どれだけか分かりませんが長い旅をして巡り会った流木達との出会いが私の人生を変えたといっても過言ではありません。自然のサイクルでいくと10年は瞬き程のアッという間の一瞬かも知れません。そんな10年で私が過ごした時間はとても有意義であったと思います。私は思います。この世にはいらないものは無いのではと。この世に生まれたからには何かしら役割があってそれが不思議な縁によって自分の所にくるのだと。そしてそれを捨てた時、それはもう戻らないのだと。
10年を過ぎて何か自分の変化はありませんが(歳をとったという事だけは事実ですが。(^_^))相変わらず作り続けています。私にとって作るという事は自分の生活の中のひとかけらなのだと思います。それを発表していくかしていかないかという事は重要ではなく、自分の心に正直な物づくりが出来ればと思います。相変わらずのきれい事ばかりなのかも知れませんが、先人達はそういった志を大切にして物づくりを進めてきたと感じます。それが時のエッセンスで熟されながら未だに私達の心に響いてくるものだと思います。自分の物づくりはとうてい及びませんが素材や時、場所や人々の縁等に感謝していきたいです。この先10年後まだ私は“何かを”作っているのでしょうか。
