つれづれ漂流記


2004.11.18

『流木作家』と呼ばれ初めてどれぐらい経つのだろうか。1999年から流木を使って作品作りを始めた頃は思いもよらなかった事です。

まだその頃は『作家』という言葉は雲の上の様な存在に感じました。まだクラフト・手作りのフリマやイベントが昨今の様に多くない時だったので自分が『作家』と呼ばれることに最初は抵抗を感じました。好きで作り始めて、まだそれを仕事としたり、作品を買って頂いたり出来るという事はとうてい無理だと思っていました。最初に作品を買って頂いたのは某イベントでの事でした。名古屋港の倉庫を使って作品の展示・ステージ・販売等行うイベントで雰囲気も楽しかったと記憶しています。最終日に台風が来てイベントも中止になったのですが、夕方頃には綺麗な夕日が見られました。販売出来る作品をどうやって作ったらよいのか分からずに自分でも使えそうなフォトフレームを作りました。それを買って頂けてとても嬉しかったです。

それから暫く経ち、雑貨店での作品展のお誘いの話しが来ました。この時、自分が何が作ることが出来るのかいろいろ悩みました。お金を出して買って頂けるような作品を自分が出来るのかと。時間ばかり過ぎていき搬入の日が近づいてくると悩んでばかりはいられないので、制作を開始しました。そこで考えた事は飾るだけではなく実際に使える物。時計・一輪挿し・フォトフレーム等を作りました。まだ作った事のないものばかりでノウハウはありませんので自分なりに使い勝手を考えてみました。何とか出来たので搬入し、そこでいろいろな分野の作家の作品を見ました。自分とは素材も違えば方法も違う。それがとても刺激になりました。お陰様でそこでは作った作品のほとんどを買って頂け、とても驚いた?と共にとても嬉しかったです。

それからイベントの話しを頂いたり、自分でイベントの情報を調べたりして出展していたのですが、一向に売れません。作れば作るほどストック。材料費も流木メインとはいえ、結構掛かりました。イベントに出る事に出展料を払っていたのですが授業料と思って割り切りました。売れなかったのですが、イベントに参加する事にお知り合いになる方が増えていきました。いろいろ情報交換したりお話ししている内に自分がいつの間にか『作家』と呼ばれている事に気が付きました。

一時期は作っても売れないので、辞めようと思った時が何度もありました。その度に何かしらお話しを頂くのです。それで現在まで続いています。作品展にお誘い頂いたり、いろいろ刺激を受けたりとても有り難い事です。スランプというのは度々襲ってきます。その時、最初はあがいていました。けれどもあがいても楽にはならず深みにはまっていく事も多々ありました。そんな時でも自分自身心がけていたのは“逃げない事”でした。立ちはだかる壁はとても高く見えますが、越える事は可能だと思いました。ただそれが時間の掛かる事かも知れないと思うと少し不安になる事も有りました。

売れない上に作る事の意味を見失っていた時期もありました。その時はとても辛かったのですが、多くのイベントや作品展が重なっていました。作りたくても作れないジレンマと迫り来る時間。焦って余裕も無かった事も有りましたが、その時くらいから行っていたワークショップで救われた思いがしました。流木や貝殻・木の実・ガラス等を使って好きに作って頂くといったもの。教えるといった感じではなく一緒に遊べればと思っていました。お客さんのほとんどは子供達。最初は何を作ろうか迷っていますが、好きな素材を一旦見つけると、とても楽しそうに作ります。そこで自分自身が思いもよらない素材の使い方や選び方をされるのがとても新鮮でした。作って持って帰る時、嬉しそうな顔をみられるとこちらまでとても嬉しくなります。そこで自分に欠けていた物に気づかせて頂いた気がしました。作る事の原点だった“楽しむ事”これを忘れていました。売れるとか売れないとか、そういった面ばかり気になっていた自分のちっぽけさに気が付きました。確かに売れる事は大事かも知れませんが、楽しむ心を忘れてしまった独りよがりの作品では、すぐに飽きられてしまうかも知れません。それよりも自分自身の内面を磨く事を怠っていた自分の姿に嫌気が差しました。努力を怠っていつの間にか『作家』という言葉の上に胡座をかいていた自分の姿に。人間は易きものに流れやすいものですが、そこで襟を正す事も必要かも知れません。

拾ってくる流木も段々変わってきました。最初の頃は手当たり次第拾っていたのですが、最近では使うもの最小限に止めています。置き場に困るといった事もありますが、何よりゴミにしたくないという思いがあります。流木や漂着物は興味の無い人達にとってはゴミでしかありません。昨今では流木作家も増え、流木を使ったガーデニング等一般的に認知される様になってきました。エコロジーを考えると全て拾った方が良いのでしょうが、使わないものはゴミとなってしまいます。昔は流れ着いた流木は薪などに使われていたため浜辺は綺麗でした。しかし今では流木以外にも、ペットボトルなどの人工物の割合も増えて来ています。流木もお金で買うといった事も出てきています。

私自身、『流木作家』と呼ばれる事に対して今は抵抗はありません。流木を通して作る楽しさ、それを発展させて生活を楽しめる様な、ささやかなお手伝いが出来ればと思います。私は『作家』になる事は易く『作家』であり続ける事は難しいと思います。誰でも『作家』とは言えば『作家』である訳なのですが、ひとつの指針であり続けるのは大変だと思います。趣味であれば曖昧な部分や妥協も可能ですが、プロとなれば厳しい面が多々あります。まだそこまで自分が到達出来ていませんが、楽しむ為の努力は惜しまない様にしたいと思います。流木という時間を掛けて自然が作ってくれている素材と対等に付き合っていくために日々精進です。

『流木作家』というくくりは、ある意味特殊なのかも知れません。たまに取材を受ける事もありますが、物珍しさも有るかと思います。素材は自然の中にあり拾って来たもので形を作り、それを売ったりしています。一般受けする様なものはなかなか作り出せませんが(私は自然とのコラボレーションを楽しんでいます。)気になって手に取って頂けたらとても嬉しく思います。道具もホームセンターで揃うものばかりで、基本的な道具(のこぎりややすり、ドリル等)を使えれば簡単に作品も作れます。必要なのはちょっぴりの想像力と感性のかけら。どういった形に見て取るかは人それぞれです。山や海に遊びに行った時に何か作ってみるのも楽しい事です。

私はいつからか『流木作家』と呼ばれていますが、私の作品を見てこれなら自分にも出来そうとか何か作ってみたいと思って頂けたならば幸いです。生業としていくのは大変です。私も働きながら作っています。そういった中で必要なのは技術の向上という事もあるのですが、一番大切なのは“個性”だと思います。他の作家に真似の出来ない何かを持っている人は強いです。私自身の課題でもあります。それを磨くためには、いろいろな事から学ぶ事が大事だと思います。幸い私の周りには作る人が沢山いてくれます。そういった交流の中から生み出して行けるものもあると思います。逆に自分自身と対峙して作っていく事も必要だと思います。流木を使った作品を作る様になって、一番財産だと思うのは“縁”だと思います。流木自体がその時、その場所に行かなければ出会えない素材なのでまさしく“一期一会”です。そして流木で作っていなければ出会わなかった人、時、場所沢山あります。このHPもそのひとつです。私が作っていられるのもこうした“縁”に支えられているからだと思います。(感謝)これからもその“一期一会”を大切にしていきたいと思います。

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