つれづれ漂流記
2003.9/10
9月に入ったが残暑が厳しいようである。今年(2003年)の夏は冷夏だった。梅雨がなかなか明けず、台風も来たり肌寒かったりで、農作物の出来も心配だ。自分で作っている訳ではないので実感が余りないが(これはちょっと考えなければならないかも知れない。)そう感じた。
自分自身一番好きな季節は初夏である。生まれた月が4月の後半ということもあり木々も彩りを添え、若葉が目に鮮やかなそんな季節。じめじめした梅雨の前のからっとした日差しや風が心地よく感じる。秋も似たような感じなのだが何か物悲しく思えてしまいいまいち好きになれない。秋は、芸術の秋、食欲の秋、運動会、祭いろいろあって賑やか。木々も鮮やかに彩りを変えていくそんな季節。
夏は暑く、冬は寒くという季節感が、地球温暖化の影響で崩れ初めている。それと同時に失われていく物も多いようだ。スーパーやコンビニは年中無休、夜中までやっていて手に入らないものは無いくらいである。とても便利である反面、何か忘れられていく様なそんな気がする。エアコン等で快適に暮らせる文明の恩恵に預かっているのだがちょっと考えなければならないと思う。エネルギーは無尽蔵ではなく限りがある。省エネという声を高らかにうたっていても、便利さに慣れてしまうとついそちらに走ってしまう。現代人の弱さの一面だと思う。かくゆう自分もその恩恵に預かっていて勝手な理屈をこねていても、便利さは捨てられない。
歩くことは嫌いではない。流木拾いに出掛けたりすると平気で浜辺を延々と歩いていたりする。流木を抱えての浜辺歩きは身体を鍛えるのによいかもと思う時がある。(笑)海岸には様々なものが漂着している。人工物や自然の物、それぞれに流れ着くまでにドラマがあったに違いないと思う。それを想像するのはとても楽しい。それと同時に便利さの抜け殻の様なものも感じる。必要とされなければゴミになってしまう。台風の後に重機で集められた流木の山を見て以前そう思った。魅力溢れる素材なのだが高く積まれた様子は墓場のようだった。何だか物悲しくなりそこからは拾えなかった。勝手な理屈であるが、流木であれば何でも良いという訳ではない。まさしくエゴかもしれない。自分自身で活かすことが出来ないものは、結局ゴミになってしまうかも知れないと思う。
物づくりをすると必ずゴミが出る。イベントの後など凄まじいゴミである。物づくりに携わる身としては、ゴミを出来るだけ出さない様に工夫する事が大事だと思う。ケチになれということではなく、考え方次第で活かすことも可能だと思う。先人達はそうやって暮らしてきたのだから。観点を変えれば工夫は出来ると思う。(自分自身偉そうな事言っても、ゴミを出し続けているのではあるが。)最近ではリサイクルをテーマにした作品展等も開催されている。そう言った問題にもユーモア等を交えて考えていくと楽しくなるのかもと思う。避けては通れない道ならば思い方次第である。
