つれづれ漂流記


2003.9/24

またしても台風が訪れた。この2週間余りの間に2個もやって来た。本州をそれて消えていったが(被害に遭われた方には、言葉だけで申し訳ありませんがお見舞い申し上げます。)大なり小なり爪痕を残していった様である。今まで暑かったのに台風が訪れたら一気に涼しくなり秋の訪れを肌で感じられる様になった。最近では四季という季節の移り変わりがゆっくりとした速度ではなく急激に季節が移り変わっていく様である。特に今年は夏らしさが少なかった気がするが、残暑は厳しい。

久しぶりに海に出掛けた。やはり『何か』を海に求めてである。海に出掛ければ何かしら自分自身見つめ直す事が出来る。今回はHPの画像の更新のための素材探しと、台風後のビーチコーミングである。先回出掛けた時にも台風後であったが、海水浴シーズンで多くの人がいたがやはり秋の海、人も少なかった。接近している低気圧の影響か風も強く波も荒々しく立っていた。少し肌寒く感じる浜辺を歩いてみた。台風の置き土産か、とても沢山の漂着物があった。多くは流木・葦等自然のもの、人工のものではペットボトルや瓶・空き缶・ボール等よく見掛けるものであるが毛布やテレビ、何かの電化製品や部品、タイヤ、玩具などいろいろあった。この辺りは内海なので海外のものは流れ着くことはほとんど無いが何かしら不思議な物に出会う事はある。

3年前の東海豪雨という水害では、被害が出た愛知県の対岸である三重県の海岸は見渡す限りの漂着物の山となっていた。その時には沢山の流木を拾えたが心境は素直に喜べなく複雑であった。重機で片付けられた流木や漂着物の山は墓場のようでそこには、手を出せなかった。今回も割と多くの漂着物に出会えた。しかしそこから拾ってきた物は思ったより少なかった。というのは、最近自分が活かせない流木は拾わない様にしているからである。ゴミをかたづけるという名目であれば手当たり次第拾えるけれどそれを再びゴミにしないためには、自分の力量を踏まえての審査眼が必要かと思う。拾って来てストックとしても管理の悪さの為、朽ちさせてしまっている流木も多くある。自分が拾わなければ他の人に拾われたり暖をとるために燃やされたりする可能性もある。自分では活かせなくても他の人ならば活かせるかも知れない。それを思うと手元にあっても使わないものは『縁が有って無い』のかも知れない。

物を大事にする事は、人も大事にする事に繋がると思う。気持ちに余裕の無い時には人にも冷たく当たったりしてしまう事もある。人を使い捨ての物と同じ様に考えている訳ではないが、粗末に扱ってしまう事も有る。忙しすぎる現代社会でのひずみはこういった事が原因かもしれない。その人にしか出来ない事、その人らしさがもっと大事にされる事が大切かと思う。現実には個性を出せば『出る杭は打たれる』が如くになってしまう事が多いが、上手に個性を生かせればそれは良いものだと思う。一人一人の存在が重要になり、社会全体も元気になり活性化するのではと思う。(理想論かも知れないが)

無駄にしないことも『活かす』という事には必要だと思う。自分自身が手にする物ひとつひとつにどれだけの時間やお金、人の手が加わっているのか考えてみる。(考えすぎると物を捨てられなくなってしまうが)自分自身で必要な分だけにしておく事も大事なのかも知れない。必要以上に手を付けてしまうと沢山の重荷を背負う事になるかも知れない。ひとつの『モノ』を活かすも殺すも自分自身だと思う。自分自身、日々どれだけのものを活かせているのだろか。気付かない所で粗末にしてしまっている事はどれだけあるのだろう。そんな事を沢山の漂流物の中を歩きながら考えた。

(浜辺に打ち上げられ割れたポリ缶が、笑っている様に見えました。)

つれづれ漂流記目次

etc.index