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◎風韻「流木のきもち」 山根由士
作品をつくろうと浜辺で流木を手に取ってみて思いました。この流木は何処から来て何処へ行くのか。
嘗ては大地に根をおろした木々としての生活を営んでいましたが時が過ぎ、その寿命が尽きた後、水に流され風雨や年月に晒されていく中で形や表情や質感を変えつつ、長い旅を続けて海まで流れ波に揉まれながら、やがて浜辺にたど辿り着きます。(漂着した流木はゴミと認識されてしまう事が多いのが残念です。)流木が遭遇したドラマやそれぞれ見てきた風景は一本ずつ違います。人にも個性が有る様に流木にもまた個性が有ると感じます。流木は自由奔放な素材であり自然は偉大な芸術家なのです。
私は作品をつくる時、自然とのコラボレーションを楽しんでいるのですが、其処では直接理解し合う事こそは出来ないにもかかわらず、時間の記憶を込めた素材との対話がある様な気がします。
作品を通して流木と語らっていると、不思議な「縁」というものを感じます。人も流木も出会うべくして出会うものかも知れません。数多くある流木の中で私が何かを感じ、手に取るものは僅かなものですが、その中の幾つかは時期や役割は違えども作品として、新たな命を宿して何時しか旅立って行く時がきます。
私は流木のきもちを思う様になってから多くの人達と出会いました。其処には言葉を越えた気持ちの通じ合いが有るのかも知れません。
私が今日、手に取る流木は何を感じ思うのでしょう。
(やまね・よしひと=流木作家)
このエッセイは2005年9月19日に電通の社内及び各企業や官公庁にも置いて頂いている『電通報』の中の文化面のエッセイ欄に掲載されました。(約3万部発行)
私がこのお話しを頂いた時、正直言って自分にそれだけの文章が書けるだろうかと不安でしたが、文を書くのは好きなので自分の思いを纏めてみました。何度も添削して頂きなんとか形になりましたが、書き直している時に正直に自分のきもちと対峙している気がしました。流木を使った作品をつくる様になって私自身も取り巻く環境や感じる風も変わって来ている気がします。流木という素材はとても素直で優しく、また力強いと感じます。作品をつくる度に思うのですが私は『つくっている』というよりも『つくらされている』と感じます。“流木のきもち”は未だ理解しきれていない部分も多いです。拙い600文字の文章の中には私の思う事がシンプルながら込めさせて頂いています。
流木と出会い感じる不思議な縁は“出会うことは全て自分にとって必要な事である”と感じさせてくれます。人の縁も是に同じだと思います。今回のエッセイを書かせて頂いた事は私にとってとても感謝すべき事だと思いました。多くの方々に支えられ私は今日も作っていられます。(感謝)“流木のきもち”を感じる事は誰にも出来うる事なのかも知れません。見過ごしがちなものの中に大事な事が隠れているのかなと私は思います。そしてこれからもその“きもち”を感じる事を忘れる事無く、自然とのコラボレーションと日々の生活を楽しんでいこうと思います。